プログラムノート④-I ショパン/ノクターン 遺作 嬰ハ短調
こんばんは。
11月も残りわずかとなり、
リサイタルの本番が近づいてまいりました!
今日から3週に分けて、当日お届けするショパンの作品のついてブログを綴っていきたいと思います。
1830年ごろ(当時20歳前後)ショパンが作曲したこの曲を捧げた相手は大好きな姉のルドヴィカでした。
ルドヴィカがピアノ協奏曲第2番へ短調を練習する時のための曲として書かれた、という説があります。
確かにピアノ協奏曲第2番にはこの遺作との共通点が所々に見られるのですが、このノクターンを練習用に使う…? 調も違い、歌い回しも違うので、果たして本当に練習用として献呈されたかは定かではありません。
もともとノクターンとして書かれた曲ではなく、
ルドヴィカがショパンの死後、彼の未出版作品のカタログを作った際に「夜想曲(ノクターン)風のレント(Lento w rodzaju Nokturna)」と記したことから、ノクターンに分類されることになりました。
1830年、ショパンがこのノクターンを作曲したウィーンに到着したのは11月。
彼の故郷ワルシャワでは11月29日に、一部の士官候補生達がロシアの支配に反抗し、コンスタンチン大公を暗殺しようとする事件が起こります。
それをきっかけに両国は緊張状態に入り、ポーランドとロシアの間で本格的に戦争が起こる気配が漂い始めました。
大好きな故郷にいる愛すべき家族、友人達がいったいどんな危険にさらされてしまうのか…
不安に駆られ、祖国の平和を想い、家族の安否を願い…。
そんな中で書かれたこのノクターン。
同時期に作曲された歌曲《願い》の中にある一節に
…もしも私がこの木立の小鳥なら、
他のどんな場所でも歌わないわ、
湖のためでも、森のためでもなく、
だけどいつまでも永遠に、
貴方の窓辺で、ただ貴方のためだけに……
と、あります。
小鳥になってすぐ家族の元へ飛んでいき、
自身が作曲した美しい音楽を届けたい、と想っていたのではないでしょうか。
このノクターンは胸を切るような物悲しいメロディーを切々と歌い続けますが、最後は明るい和音で終わります。
祖国と家族への愛。
どんな悲しみにくれようともその二つへの想いは変わらず心にいつも持ち続けていたのかもしれません。